「驚異のスーパー・インテンシブ日本語コース」後編

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忘れられないあの教室⑷「驚異のスーパー・インテンシブ日本語コース」後編

IBT予備教育!それは日本の某私立大学(T大学)が設立母体となってKLのど真ん中に立ち上げた、主に日本の大学へ留学する若者たちの日本語および基礎科目を教える日本語プログラムである。学校名に設立母体の大学名を冠してT…マレーシア日本語学院(Insutitut Bahasa Teikyo)という。しかもKL日本人会の建物の中にあるため、日本人会運営の日本語学校と勘違いされたりしている。(良い意味で?)

私は2008年の、2度目のマレーシア滞在の時にその学校に非常勤講師として参加させていただいた。前回のマレーシア赴任時に出会った(同業の)妻との間に2子を設け、今回は家族4人での滞在だった。それまで(図らずも)子育てに追いやられていた妻が『今度は私の番!』とばかりにマレーシア教育省の教員研修の専任ポストに就き、私の方は幼い娘たちを引き連れて子連れ日本語教師として日本語を教えることになった。主任の先生に、『うちには非常勤は要らないのよ』と言われながら、その学校の立ち上げ時の功労者でもあった友人の口利きで、無理やり非常勤で入れてもらった。子連れ教師には常勤は無理なのだ。

しかし、ほどなくして、と言うか初出勤の当日のうちに、なぜ『うちには非常勤は要らない』のかと言う理由が判明した。そのコースは、とにかくものすごく集中的な「集中プログラム」なのであった。授業は月火水木金の週5日で毎日午前10時から午後5時45分までの6コマ授業であった*。まあ、それだけなら留学予備教育である以上、当然と言ってもよい程度の集中カリキュラムである。通常、週20時間授業を行う日本国内の日本語学校のカリキュラムも「集中日本語コース」と呼ばれることもある。

*ただし、イスラムの安息日の金曜は朝9時から午前のみ3コマ授業。理系/文系によって違うが、日本語の授業は初年度で週18コマ、2年度は13コマ程度で残りは数学と日本事情および社会(文系)、または数学、日本事情、物理+生物および化学(理系)の授業が行われていた。現在の同校のカリキュラムによると、4月開講、翌年12月終了の20カ月コースで、2年次は文系が毎日7コマ、理系が毎日朝9時から午後545分までの8コマ授業(金曜は7コマ)!となっている。

          

しかし、IBTが「超」集中プログラムである所以は、カリキュラムよりもむしろその授業内容の濃厚さなのだ。使う教科書は特にオリジナルなものではなく、初級用は日本国内で出版されていた文型積み上げ式で当時最も学習項目の多かった某教科書、中上級はこれまた日本で出版されていた、教師の好みによってシンパとアンチに大きく分かれた某中級・中上級教科書だった。ただこのコースではこれらの教科書の隅々までを漏らすことなく学習素材として、文型習得から読解、聴解、会話、漢字、作文の授業に落とし込み、まさに学生たちに「骨までしゃぶるように」習得してもらおうというスタンスなのであった。ちなみに私は例の中級教科書に対してはアンチ派だったが、ここまでやるなら、もうどの教科書がいいとかいう議論をはるかに超えて、とにかく「IBTの超集中日本語教育」なのであった。

一例を挙げると、クラスでは毎日、教科書の学習課の新出漢字のうち8~12字を導入して、翌日それらの漢字の読みテストと書きテストを必ず行う。それとは別に教科書の1課が終了するたびにその課の漢字について同じく読みテストと書きテストを行う。どちらのテストの場合も、読み問題も書き問題も、単一の漢字や熟語を書かせるのではなく、必ず(極力)その課の学習項目を含んだ文脈のある文の中の熟語や単語として答えさせるものだった。毎日授業は進んでいくので、日によっては漢字のテストが朝と午後と2回ある日もある。さらに前日の授業の流れから漢字テストが先送りになって、1日に漢字テストが3回という日もあった気がする。

全ての答案はその日のうちに添削、採点され、満点でない場合は間違いを(たしか)8回、軽微なミスは5回、全文を書き直して提出させていた。再提出されたものも、さらに間違いがあれば同様に書き直し、ミスがゼロになるまで再提出させる。しかも再提出は全文を書くので、問題の文字以外の部分も何らかの間違いがあれば書き直しになった。いわゆる誤答でなくても、字形や書体が不自然な場合は(添削する教師によって程度の差はあるが)直させた。もともと手書きに自信がない私だったが、2年生に進んだ学生たちの作文や提出物を見るにつけ、「この学校の学生たちは、なんてきれいな字を書くんだ!」とよく感動したものだった。きっと彼らを日本の中学校の硬筆習字コンテストに参加させても、ほとんどの学生は入賞を果たせたに違いない。

          

このような厳しい指導にもめげず、ほぼ全寮制(?)だった学生たちは、平日は学校でも寮でもよく勉強し、宿題の提出率もほぼ100%に近かったと思う。脱落する学生はほんの一握りだったと記憶している。しかもマレーシア人特有の明るさは決して失わず、休日にはしっかり遊んだり帰省したりしていたと思う。

しかし、である。学生たちがこのような濃密な学習を続けられるということは、その学習の裏方たる教師の仕事も超インテンシブなのである。一クラスの学生数は平均1617名で、彼らの宿題やテスト答案の添削、再添削、再々添削の紙が、毎日何度も津波のようにやって来る。デスクの上にはあっという間に高々とした紙の断崖絶壁ができあがる。常勤の先生たちは、授業のない時間に、また他の業務の合い間に、少しずつ消化していたのだろうと思われるが、非常勤の私は授業担当に隙間がないので、その日の最終担当クラスが終わってからでないと、その作業に本格的には取りかかれない。授業後、急いで授業報告を書き、添削にかかるが、4時半には子供たちを保育園に迎えに行かねばならぬシンデレラ出勤の身なので、結局消化しきれず、添削セットを「お持ち帰り」となる日も珍しくなかった。しかもぎりぎりまで作業したため、保育園の閉園時間に間に合わず、あわてて電話を入れることも度々だった。早く帰りたい保育園の先生には大変ご迷惑をおかけしました。

そんなこんなで、家では夕食の始末が終わると、妻が子供を風呂に入れて寝かし付ける間、私は早速、眠い目をこすりながら添削に取りかかり、それがなんとか終わると明日の授業準備。そもそも補助教材や教具は充実しているので、授業準備の方はさほど時間がかからなかったが、添削の方は、頻繁に船を漕ぎながらだったので、紙面に異様な曲線が走ったりしていた。寝る前に(または翌朝)、それを修正液で消す作業も加わった。朝食は妻が作ったが、妻の出勤後、後片付け、食器洗い、洗濯は私の分担。マンゴーやバナナの樹が生えている庭に洗濯物をなんとか干し終わると、支度をして、子供二人を車に乗せ、保育園経由で日本語学校へ向かう。後にスクールバス*を「雇って」子供たちを送るタスクは免除され、そのおかげで若干の余裕ができた。

*スクールバスと言っても保育園にバスがあるのではなく、保育園や小学校へ行く子供専用のミニバスタイプの個人タクシーのようなものだった。保育園から紹介されて運転手のおじさんと面談し、この人なら大丈夫と判断して契約した。

          

1年半後、妻の仕事の任期が終わり、帰国することになった。最後の授業が終わると、担当したクラスの学生たちが全員で階段の踊り場に出て見送ってくれたのには、涙が出るほど感激した。(その中に、ルディたちも確かにいたはずだ。)そして、同僚の先生たちからは色紙にいっぱいのお別れのメッセージをいただいた。その中の、私自身一目置いていたある中堅の先生からのメッセージを読んで、血の気が引いた、というか、まさに「穴があったら入りたい気持ち」というのはこれかと思った。そのメッセージにはこう書かれていたのだ。

『デスクでの寝姿、かっこよかったです。』

・・その後に、子育てしながらの通勤をねぎらってくださるお言葉が続いていたので、若干血の気は戻ったが、職場で居眠りしていた自覚が全くなかったものだから、まるで寝首を掻かれたようにショックが大きかった。

 

さて、IBTの予備教育プログラムはPBTPusat Bahasa TeikyoT…日本語センター)と名を変えて、現在でも健在であるようだ。あの超集中教育の理念は今も貫かれているのだろうか。私がこの学校に関わらせていただいて気づいたことは、教科書や教授法も大事かもしれないが、本当に大事なのは授業後のきめ細かなフォローだったのだということだ。東南アジアなどの日本語教師を見ていると、この授業後のフォローに力を入れていないケースが多い、膨大な学生数と、あり得ないほどの週コマ数をこなさなければならない現地の講師たちには、とてもじゃないが宿題のチェックなどしている余裕がないのだ。課題は提出すればOKの世界、出せば点数になり、出さなければ単位が取れない。それだけである。そういう教師に慣れっこになっている学生にしてみれば、出した答案や宿題が真っ赤になって帰って来る。しかも間違いを直して再提出、再々提出せよというのは驚くべきことだ。しかし、まじめにそれに従ってみた学生は、それが自分の学習にどれほどの効果を齎すかがだんだんわかって来る。まじめにやらない学生にはそれは永久にわからない。

そこが大事なのだという点は、実際にやった経験がないとなかなか実感としてわからない。私はここでその経験をすることができて良かったと思っている。これはIBTのような組織的な集中プログラムに限らず、あらゆる日本語クラスや個人教授も含めて、大いに示唆に富んだことではないだろうか。つまり、教科書や教授法の選択、さらには教育理論などの議論をも超えて、もっと大切な、そしてもっと素朴な、教師のすべきことと言うものがあるのではないかと言う・・・。

 

コメント

  1. マレーシアでのご活躍、読ませていただきました。わたしもマレーシアですこし仕事をしてましたが、このような集中コースを経て日本の大学に留学し、戻って来ていろいろな仕事についてる、多分野多職種での日本語使いの人材の多さにびっくりしました。マハティール元首相の東方政策によって生み出された多数の人材が活躍している社会に感動したことを覚えています。

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  2. そうですよね。マレーシアの日本語教育って、けっこう凄い。マレーシアで日本語教育に携わっておられる/おられた先生方!体験をシェアしてください。

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